双極性障害と診断されるまでの私
私は高校1年生のときに、双極性障害と診断されました。
それまでに「うつ病」や「適応障害」と言われ、薬もいくつも変えてきました。
病院に行くまでの私は、普通の人がなかなか経験しないようなことを重ねて、
深く傷つき、自分を責め続け、眠れない日々を送っていました。
高校の先生からカウンセリングを勧められ、初めて心の中を少し話すことができました。
その後、病院を受診し、自殺未遂を起こして入院したときに「双極性障害」と診断されました。
当時の私は、その言葉を初めて聞きました。
ネットでいろいろ調べてもよく分からなくて──
今でも、「本当に自分が双極性障害なのかな」と思ってしまうことがあります。
でも、そう感じることも、実はこの病気の特徴のひとつなんだそうです。
そんな私も、今では3人の子どもを育てているママです。
もちろん、毎日が穏やかに過ぎるわけではありません。
気分の波は今でもあるし、落ち込む日もあります。
でも──
「こんな私でも、ママをやってるよ」っていうことを、伝えたくてこのブログを書いています。
もしこの記事を読んで、「同じかもしれない」と思ったら、
どうか、自分を責めないでね。
このブログには、そんなあなたに届けたい言葉や日常が詰まっています。
気分の波と育児のリアル
私の場合、双極性障害の症状が直接子どもに向かってしまうことはありません。
子どもへの関わりそのものは、日々きちんとできていると思っています。
病院の先生にその話をすると、「病気に育児があまり影響していないパターンは珍しい」と言われました。
でも──
実は「子どもとの関わり」以外の部分、つまり暮らしそのものに大きな波が出ています。
たとえば、ご飯づくり。
鬱のときは、朝ごはんはおにぎりやパンだけで済ませることが多く、
母や夫に頼ることもあります。前日の夜に夫が朝ごはんを作っておいてくれることも。
反対に躁のときは、なんでもできる気がして、キャラ弁を作ってみたり、
ハンバーガープレートを作ったり、「これでもか!」というくらいたくさんの品数を並べたりもします。
夜ごはんも同じで、波が大きく影響します。
調子が良いときは何品も作り、まるでパーティーのように準備することもありますが、
その反動で疲れてしまうことも…。
幼稚園の送り迎えも、鬱のときは朝起きるのがしんどくて、
「今日は休ませようかな…」と思ってしまったり、実際に休ませる日もあります。
「明日の準備」や「片付け」といった小さなタスクも、
鬱の時期はどうしても動けなくなってしまって、家族に手伝ってもらいながらなんとか回しています。
逆に躁の時期は、やらなくていいことまでやろうとしてしまい、
無駄に予定を詰め込んでしまって、自分を苦しめてしまうこともあります。
子育てはできている。
でも、“暮らしの中の小さなこと”にこそ、症状の影響が色濃く出ている──
そんな毎日です。
それでも私は、家族の力を借りながら、できることを少しずつ積み重ねて生活しています
夫婦でどうやって子育てを回してる?
私たち夫婦は、私が双極性障害であることを結婚前からお互いに理解した上で暮らしを始めました。
「全部私がやる」という形ではなく、最初から“協力前提”のスタイルを取っています。
🧺 我が家の家事・育児の分担ルール
症状によって波があるからこそ、我が家では“できるときに、できる人が”をベースに動いています。
▫️鬱のときは
日中の子どもたちとの時間だけは私がなんとか関わりますが、
それ以外の家事や細かい育児のタスクは、夫ができる範囲でサポートしてくれます。
たとえば──
・ご飯はチャーハンなど簡単に作れるものでOK
・片付けは“軽くで大丈夫”が我が家の合言葉
・どうしても分からないことはその都度聞いてくれる
完璧じゃなくても、「やってくれる」こと自体が何よりありがたい。
そのおかげで、家庭はちゃんと回っています。
▫️躁のときは
反対に躁状態のときは、「よし、今のうちに!」と私がほとんどの家事育児を引き受けるようにしています。
これは「鬱のとき助けてもらった分、今は私が動けるよ」という気持ちから。
・お弁当づくり
・掃除、洗濯
・子どもたちの明日の準備
・寝かしつけや送り迎えも
無理のない範囲でやるように心がけてはいますが、調子が良すぎてついつい予定を詰め込みすぎて、自分を追い込んでしまうこともあります。
でも今のところ、この「波に合わせて役割を調整するスタイル」が、我が家には合っているみたいです。
私たち夫婦にとって大事なのは、
“どちらかが全てを背負わない”ことと、“できないときは素直に頼る”こと。
そうすることで、日々のバランスが大きく崩れすぎずに済んでいます。
それでもママはママでいい
双極性障害を抱えながら子育てをしていると、
「ちゃんとできない自分」にがっかりする日があります。
朝起きられない日。
外に出てあげられない日。
おにぎりだけのご飯で、テレビに頼りっぱなしだった日。
そんな日は、
「ごめんね」「もっとちゃんとしたママだったら」と、自分を責めたくなります。
特に、世の中にいる“普通のお母さん”と比べてしまうと、
どうしても私は足りていない気がして、
子どもに我慢をさせているような気持ちになります。
でも一方で、調子が良いときには、
お弁当も準備も片付けも完璧にできて、
子どもたちの「やりたい!」に全部応えてあげられる日もあります。
そういう日は、「ああ、ちゃんとママしてるな」って思える。
たったそれだけで、心が少し救われる。
きっと、読んでくれているあなたの中にも、
「できない自分」と「がんばりすぎて疲れた自分」の両方がいるかもしれません。
でもね、どちらのあなたも、ちゃんとママです。
子どもが笑ってくれる日も、
ぎゅっと抱きしめてくれる日も、
無言でそばにいてくれる日も、
きっと子どもは「あなたのままで」ママとして受け止めてくれています。
わたしも、いまだに揺れながら毎日を過ごしています。
でも、そんな私でも、3人の子どもを育てています。
このブログは、
同じように悩んでいる誰かが「わたしだけじゃない」と思える場所になれたらいいなと思って書いています。
がんばれない日があっても大丈夫。
できない日があっても、
それでも、ママはママでいいんです。
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